42か月の永遠

「HELLO」の頃が、HYDEのソロ活動について一番不安を覚えていた。

ソロ活動の初期「evergreen」〜「ROENTGEN」の辺りは、これは確かにラルクでは出来ないことだ、こういうことをやりたかったからこそのソロなのか、と得心が行き、楽曲や世界観が大変に好みだったこともあって、いつまでもこういう活動を続けてくれても構わない、とさえ思っていた。

けれど、2003年6月。新作のシングルとしてリリースされた「HELLO」は、アコースティックな世界から方向性をがらりと変えた、攻撃的なロックチューンであった。

このサウンドを作り上げた、シンプルなスリーピースバンド、という形は確かにラルクとは違うものである。けれど、それでもなお《ロックバンド》であるのならば、何故それをHYDEは、まごうかたなき《ロックバンド》であるラルクでやってくれないのだろうかと、そんな風にもどかしい気持ちを覚えずにはおれなかった。

90年代の日本のミュージックシーンを見てきた者としては、「バンド(グループ)のソロ活動は解散へのカウントダウン」という説明がすんなりと胸に落ちる。あの頃、ラルクとしての活動がないまま時の過ぎ行く状態に「やはり?」、「いやまさか!」という思いがFanの心の中に錯綜していたのも、無理からぬことであったろう。

たとえ「HELLO」リリース前の「BUBBLE FESTiVAL」でメンバーが一緒にステージに立とうが、それは《L'Arc〜en〜Ciel》という形でではなく――並んでいる姿を見られることが、嬉しいけれど淋しい。そんな相反する思いを胸にこちらは、ただ彼らに声援を送ることしかできなかった。

そうして迎えた「Shibuya Seven days 2003」。「これで解散ということはないだろう…」とは思っていても、果たして、胸の底に一抹の黒い不安を抱いていなかったオーディエンスはあの場所にいたのだろうか? 今となってはもう、ただ笑い飛ばせる過去の話ではあるが、SSDファイナル終演後に感じた安堵感、あの日、代々木で見た広い広い夕焼けの空の色は、今でもはっきりと思い出せる。

その後、2003年末にリリースされた「666」とそのツアーは、ラルクでの活動もある、という前提でこちらが対したせいもあってか、非常に痛快なものであった。音を聞き、LIVEを体感し、こういう形のソロもまたラルクでは出来ない挑戦であるのだと、ようやく納得できた。私がHYDEソロとラルクをきっぱりと割り切って考えられるようになったのは、この辺りの時期であったように思う。

時は流れ、2008年。L'7後のライブ活動休止、の報を聞いた時には(むしろ、早めに再度の欧州ツアーをしてほしいと願っていた…無論、私情を思いっきり込めて)確かに寂しさを覚えたが、あの2001〜2003年頃の状況を思い出すと、もう十分すぎる程である、とも思える。

NEXT LIVE 2011という予告、「強力な船になって帰ってくる」との言葉。その向こうに広がる眩いばかりの未来像をただ信じられるような、アルバム「KISS」とその後のツアーの完成度、新曲「NEXUS 4 / SHINE」のリリース告知。

かつてhydeは「True」後のとあるTVのインタビューで、「ラルクとは?」という問いに、「最新型の最強マシーン」と答えていた。この回答は、今なお有効であるのだと思う。L'Arc〜en〜Cielが、これまでのどの形とも違う《最新型》になるためには何をなすべきか。そして無論、それは《最強》でなければならなくて。

3枚のアルバム「ROENTGEN」、「666」、「FAITH」のリリース。映画への出演、NANA starring MIKA NAKASHIMAへの楽曲提供など《HYDE》としての様々な歴史を経て、もう今、単なるいちFanに過ぎない自分としても、《ラルクhyde》だけでは満足できなくなっている。比べるのも僭越なところではあるが、本人にしてみればなおのこと、その辺りに感じる葛藤と、過去の己を乗り越えるために費やすエネルギーはいかばかりのものなのだろう。

それらの困難な命題をクリアするためのひとつの手法が、VAMPSなのだと思う。盟友K.A.Zとの共同作業、2人ユニットであるが故のフットワークの軽さ、「その土地で、聞きたい人が当日でも気軽に聞きに来られるような」前人未踏のZEPP 46days公演、等々。挑戦心と遊び心に満ちた行動の先に待っているのはもちろん、さらに進化した《HYDE》と《hyde》の姿である筈だ。

――といっても無論、人間のやることに《絶対》はない。そう、ありえないなんてことはありえない、だからあえて、2011年の《NEXT LIVE》後にラルクアンシエルは解散、という事態も、可能性としてはありうることにも言及しておこう。

そうなったらひたすら己の不明を愧じるばかりである。ただ、もしもそのような事態を迎えた場合には、嘆くよりも悲しむよりも、「もったいない」と思ってしまいそうだ。それほどまでに現在のラルクは、《バンド》として大いなる可能性を秘めていると、ただ素直に感じられる。2000年「REAL」後の、どこか虚脱感の漂っていたような危うい時期とは、完全なまでに異なって。