lost everything to bombs

8月6日は広島の原爆の日である。あいにくと平和祈念式典に参列したことはないのだが、夏が訪れ、この日が来て各種の報道等を目にすると、世界を取り巻く《戦争と平和》にまつわる様々な事柄に思いを巡らせてみずにはいられなくなる。

三年前、2005年の8月6日が「AWAKE TOUR 2005」初日の名古屋公演であり、名古屋レインボーホール(※名称は当時のもの)に参戦する機会を得られていたことは、あのアルバムとツアーの持つ《反戦》というテーマが、自分の中に深く根を下ろした一因ともなっている。そのAWAKEツアーのほとんどの公演において、最後に演奏された曲は《平和》を希求するhydeの想いが感じられる、悲しくも美しいバラードの「星空」であった。

ツアーファイナルの様子を収録したDVDでも確認できるように、白を基調とした数多くの生花に囲まれて「星空」を演奏するメンバー4人の姿、特にその強い願いを込めた歌詞を歌いながら、天を仰いで涙を流すhydeの姿には心を動かされる。

「TOUR 2008 L'7〜Trans ASIA via PARIS〜」、日本各公演での最後の曲も「星空」であったという。その選曲を知った時は少しばかり意外に思ったが、世界を回った結果の選択が「星空」であったのなら、彼らの願いも、訴えかけたいことも、三年前と変わってはいないということなのだろう。

無論、L'7でラルクが回った範囲の《世界》などというものは、ごくごく限られた一部の地域の話である。現在この地球上で真に「星空」のような現実を生きている人々にとっては、ラルクの音楽も、我々の声も、別次元の話でしかないものだろう。いくらhydeが平和を願って歌ったところで、その歌は世界中には届きはしない。

けれど、届かないからといって何もせずに黙り込むことと、届かなくとも想いを巡らし、小さくとも声を上げてみることとの間には大きな隔たりがある、と私は考える。自分が体験していないことにも思いを馳せられる《想像力》というのは、人間の持つ大きな力のひとつだ。

もしも自分が「星空」のような現実に生きていたなら、日々、何をどう思って暮らしているのだろうか。

それとも、もしかしたら突然に「星空」で歌われているような、《全てを爆弾によって失ってしまった》、《誰も知らない、誰も気にかけない》現実が自分の身にも降りかかるかもしれない。そのような可能性は限りなく低いが、ヒロシマナガサキの何万倍もの威力を持った、3万発もの核兵器があると言われているこの世界の現状では、まんざらありえない話でもないだろう。

もちろん、そんなことを考えたって日常生活は何も変わりはしない。日々は似たようなことの繰り返し、そしてたまに非日常の刺激が訪れて、巡る季節を繰り返していく。そんな《日常》が良くも悪くも、日本を含めた多くの国での現代人の生活だろう。

だがその中で自分の《想像力》を働かせ、己の生きるこの世界の、現在と過去と未来の様々な事象を心に思い描いてみることは、決して無駄な行為ではない筈だ。――何故って? だってhydeはこうも歌っている、《心は誰も縛れはしない》、《結局確かな物はこの想いだけさ》、と。