0からの自由を

言葉は生き物である。試合は生き物である。こういったメタファーを用いる場合、《生き物》というものは時の流れの中で、その存在に何らかの変化を重ねてゆくものと定義できるだろう。これらの例にならって、バンドは生き物である、という主張を打ち立ててみる。

概して音楽集団であるところのバンドというものは、何らかの形での結成から始まり、演奏技術の進歩やサウンドの方向性の変化、メンバー交代といった新陳代謝を繰り返し、やがて解散という名の終わりを迎えるものではないだろうか。それらの過程を連続的かつ有機的な存在の活動として俯瞰した場合、バンドは《生き物》と呼ばれるのに十分な条件を備えているようにも思われる。

そんな《バンドという生き物》のひとつである、L'Arc〜en〜Cielはいつ生まれたと言えるのだろうか? 2006年の大々的な《15周年》企画の数々や、《2011 20th L'Anniversary Live》という予告を思い起こすにつけ、どうやら現在では公的に、バンド結成の1991年が《ラルク誕生の年》という扱いで統一されているようである。

余談ではあるが、「DUNE」の10周年記念版のリリースが、メジャーデビュー10周年の2004年であったことは今や黒歴史なのだろうか。いや、「予感」や「夜想花」を広く手に入るようCD音源化してくれただけで十分であるし、2001年当時のラルクの状況であのアルバムをリリースできたとは思えないので、この辺りをとやかく言うつもりはないのだが。

1991年に誕生したラルクアンシエルは日本のロックバンドである。バンドを《生き物》と捉えてみるのが本論の主旨だが、以下はもう少し範囲を狭めてラルクの《生命活動》を、人間で言えば、といった比喩から眺めてみたいと思う。

現代日本における子どもの成長の重要な節目として広く知られているのは、7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う年中行事である《七五三》だろうか。これらの《年齢》を、ラルクがどう過ごしていたのかを振り返ってみよう。

  • 3歳、1994年。メジャーデビューの年であり、より広い世界へとラルクは足を踏み入れた。
  • 5歳、1996年。世間からの注目が高まり、数々のヒットシングルや、後にオリコン1位を初獲得することとなった「True」をリリース。
  • 7歳、1998年。思いも寄らぬ6年目を過ごした後に「HEART」をリリース。この年に出した7枚のシングルは、3枚がミリオンセールスを記録した。

《七五三》の各年は、ラルクの成長過程においてなかなかに重要度が高かったのではないだろうか。なお、数え年という概念を鮮やかに無視して展開していっているが、(このコラムに限った話ではなく)元から無理がありすぎる論理を強引に進めているだけであるので、読者諸姉におかれては細かいことを気にされず、読み流されることを推奨する。

さて、ラルクアンシエルは大阪で生まれたバンドである。関西圏では《十三参り》という子どもの元服年齢に基づいた行事があり、場所によっては《七五三》よりも重要視されているという。この13歳からの数年は、果たしてどうであったのだろうか。

  • 13歳、2004年。復活作となる「SMILE」をリリースした後、初の海外公演となる「Live in U.S.A.」を行った意義深い1年だ。
  • 14歳、2005年。「AWAKE」にてオリコン1位に返り咲き、「ASIALIVE 2005」で中国、韓国への遠征も果たした。
  • 15歳、2006年。記念すべきこの年の「15th L'Anniversary Live」について、多くを語る必要はないだろう。

2008年現在、ラルクは17歳。人間で言えば高校生だ。家族よりも気の合う友人と旅に出たくなったり、修学旅行で海外に行って、長期で家を空けたりもするものだろう。来年、2009年には18歳になる。大学生になって家を出て、一人暮らしを始めてもおかしくはない年齢だ。

18歳と19歳のラルクアンシエルがどのような存在になるのかは、現時点では無論わからない。はっきりしているのは、ラルクが20歳になった時、《成人式》を迎える2011年に「20th L'Anniversary Live」が行われるということである。それはもちろん《七五三》や《十三参り》の頃とはまったく異なった、20年という、人間にしても生まれたばかりの赤ん坊が《成人》となりうる歳月に起こったあらゆるものを取り込み、大きく成長したバンドの姿を我々に見せてくれるものとなるのだろう。