パリ写真集を読み解く

ひとつの街の中であっても、各所でその《場》の雰囲気が違うことはままある。例えば東京を例に取ってみても、摩天楼の林立する新宿と、昔ながらの風情の漂う浅草ではその場に流れる空気の色がどこか異なっているようにも感じられるだろう。歴史ある都市、数多くの人々が日々行き交う街では特に、その傾向は顕著である。

フランスの首都、パリという街は長い歴史と様々な文化、多彩な表情を持つ世界有数の大都市だ。そのヨーロッパの中心、《花の都》パリにおいて撮影された、L'Arc〜en〜Cielの写真集「ア・パリ」。これまでの記事で検証してきた限りではあるが、「ア・パリ」構成上の区分と、Googleマップ他により判明したパリ市内の撮影地点をまとめて併記してみる。なお、詳細を載せたマイマップはこちらから確認されたい。

  • オープニング:ノートルダム大聖堂シテ島
  • hyde屋外:セーヌ川南岸(ルーヴル宮殿対岸、フランス学士院)
  • hyde屋内:不明(豪華な貴族趣味の部屋)
  • ken:不明(夜の街で金髪美女との絡み)
  • LIVEシーン:ルゥ・ゼニット・アリーナ
  • tetsu公園:不明(緑の眩しい公園)
  • tetsu通り:モンマルトル
  • yukihiro:カルチェ・ラタン、フロン・ド・セーヌ
  • エンディング:サン・ルイ島

それぞれの撮影場所の性格とメンバーの個性を考え合わせた場合、この相関は実に妥当であり――ある意味この写真集は、冒険の少ない作りをしていると言えるだろう。そう判断された理由を、以下、順に解説して行きたいと思う。

まずは冒頭、ノートルダム大聖堂。ソロショットとはいえ、ここで撮影された写真はメンバー全員分のものが掲載されており、《ラルクアンシエルとして》重要なポイントであったことが伺える。

大聖堂のあるシテ島は紀元前まで遡る歴史を持つ《パリ発祥の地》であり、市内を二分して流れるセーヌ川のほぼ中央に位置している。この大聖堂前の広場には、パリのゼロ地点を示す星型の印がはめ込まれていて、他の街へはパリから何キロか、といった距離は、シテ島を基点として計測されているのだ。

この、まさに象徴的なパリの《始点》にして《中心》でのメンバー全員のショット。それはラルクのパリ写真集の幕開けにふさわしい。また、《パリのラルクアンシエル》が紛れもない《REAL》であることを証明するためには、例のガーゴイル、アルバム「REAL」ジャケット写真の撮られた場所でもあるノートルダム大聖堂から始めることは、むしろ必然でもあったのだろう。

そして第一の個人ショット、hyde編となる。看板ヴォーカリスト、バンドのフロントマン、ほぼ全ての曲の作詞者、芸術家肌のミュージシャン、世間の注目を集めるルックス。Fanの中には異論もあろうが、一般的な観点においてはやはり、hydeこそがラルクアンシエルを代表する存在ではないだろうか。メンバー間や事務所内でのパワーバランスの実際については知る由もないが、世間的にはこの人の意向がラルクの動向を定めていると言っても過言ではないように見える*1

そんなラルクの《アクシス・ムンディ》hydeのソロショットの撮影場所は、シテ島からすぐのセーヌ川南岸である。他のメンバーの場合と比べても、(主に観念的な意味において)果たして一番《中心》に近い位置だ。遠景にはかの有名なルーヴル美術館――かつては宮殿だった――も臨める。

hydeの屋内での写真がどこで撮影されたのかについては不明であるが、コンセプトとしてはフランス貴族の館、といったところだろうか。花々や天使の像、燭台、シャンデリアといった華美な室内装飾に囲まれても、その存在感と雰囲気を存分に発揮できているところは、さすがhydeと言うほかない。

続いてのken編のテーマは、パリジェンヌ*2とのアバンチュールだろうか。撮影場所については、写り込んでいる手がかりとなるべき情報が少なすぎるので突き止められなかったが、いずれにしても一連の写真は室内あるいは夜の街、そして風景や装飾よりもむしろ、肉感的な人物像を主題として撮られている。(紡ぎ出す曲や歌詞も含め)ラルクのエロティカ担当と言えば、まずkenが思い浮かぶだろう。その彼をしてこのような連作を撮るのは、まさに正統派のアプローチと言えそうだ。

中盤はLIVEショット、様々な意味において忘れえぬ2008年5月9日、TOUR 2008 L'7〜Trans ASIA via PARIS〜パリ公演*3の行われた、Le Zenith de Parisでの写真だ。このセクションでは場所の選定等について特に述べることはない。そしてあの日、あそこでラルクが為したことについては、ここで数枚の写真を題材に語れることでもないと思う。今はただドキュメントDVD、そして願わくば各公演地での模様を収録したLIVE DVDの発売を待つばかりだ。

写真集後半はtetsu編から始まる。日差しの眩しい昼間の公園、鮮やかな緑、カラフルなメリーゴーランド。《明るく、ポップな》ラルクの旗手であるtetsu*4らしいイメージをストレートに捉えたショットが続く。この公園がどこであるのかは突き止められなかったが、その後、通りでの各ショットは市内北部のモンマルトルと呼ばれる地区であった。

モンマルトルと言えば、パリの中心部からは少し離れた庶民的な雰囲気の漂う地区であり、古くは芸術家のアトリエや、夢を抱いてやって来る外国人の若者の多くいる街であったそうだ。古き良き風情を色濃く残した、どこか温かみのある印象を受ける場所。80年代へのオマージュを感じさせるような曲作りを得意とするtetsuとは親和性の高い場所であると思う*5

個人ショットの最後はyukihiro編。前半は中世からの学生街であるカルチェ・ラタンの薄暗い路地裏や、細い袋小路での写真がメインである。続いての地下道や階段は、おそらくメトロのどこかの駅構内であろう。それから場所を変えて、セーヌ河畔のウォーターフロント地区の高層建築と、現代的なたたずまいを見せる夜の街路でのショットとなる。

イメージを重ねられる《先生》や《アンドロイド》といった言葉、正確なドラミング、コンピュータを駆使した緻密なサウンドの構築、特にラルクで表に出る時は一歩引いた立ち位置で、あまり喋らない――yukihiroを構成する寡黙さ、知性派、未来志向といったイメージが透けて見えるかのような場所設定の数々だと思う。

ラストの4人ショット。石畳の街路(広場?)と、ギリシャ神殿風の柱を持った建物がどこであるのかは残念ながら突き止められていないが、最後の写真はサン・ルイ島の西端に立って撮られたものであろうことが判明している。この撮影ポイントであるサン・ルイ島もすぐ隣のシテ島と共に、パリ揺籃の地だ。

メンバーそれぞれの市内各地においての写真を経て、パリの《中心》にまた戻ってくるという、収束を求めるかのような構造。だがこれは彼らの背後に流れるセーヌ川、左右に展開するパリの風景という広がりと奥行きを持った背景と相まって、フランスを含めた欧州においても展開を続けていくのであろう、ラルクアンシエルの未来を象徴する一枚であるとも解釈できる。

「ア・パリ」の奥付を見たところ、ロケーション・コーディネーターとして「ガリレープロダクション」という会社が参加していたようだ。パリを拠点に、映像制作を手がけるオーディオヴィジュアルの会社であるらしいので、おそらくはそれぞれのメンバーの、世間一般的に認められているステレオタイプな《性質》や《特性》を鑑みて、また全員ショットではラルクというバンドの目指すところに合わせて、各ロケ地を選択したのであろう。

無論それらの選択には大いに納得できるのだが、ディープなFanとしては「冒険心が足りない」などと、つい身勝手なことも言ってみたくなる。そこで試しに、写真集でのそれぞれのシチュエーションを少しずらしてみたらどうなるかと想像してみた。

  • 背の高い金髪美女と絡むhyde
  • 明るい緑の公園で佇むken
  • 学生街の路地裏を歩くtetsu
  • 豪奢な貴族の館に座るyukihiro

……見てみたいような気もするが、それらは果たしてメンバー各人の個性を活かしたものであるのか、それぞれの魅力を十分に引き出せる舞台設定であるのかと問われれば、返答に詰まる他ない。新境地への挑戦というものも時として大事だが、似合う服を着こなすこともまた、重要であろう。製作側として求めるべきは、最大公約数的な購買層の満足であるのだろうから、やはりパリ写真集の各ロケ地選択は妥当であったと言う他なさそうだ。

あくまで私見に基づいた「ア・パリ」解釈ではあったが、ラルクの写真集を眺めつつ、Googleマップストリートビュー機能を利用してパリのヴァーチャル・ツアーに出掛けてみるのは大変に楽しかった。不完全な情報ではあるが、これらの検証記事が、将来的にパリを訪れようかと考えておられる読者諸姉の一助となれば幸いである。

*1:ソロ活動初期の「ROENTGEN」時代しかり、VAMPSしかり

*2:確証はない。他国からの“出稼ぎ”女性にも見える…

*3:当日レポ参照

*4:物議を醸しがちな表現ではあるが、今回はともかく一般的イメージを優先で

*5:撮影場所の近くであるピガール地区は、パリ随一の猥雑な歓楽街だそうだが