Mother of love

1/2付の記事で書きました、ラルクの「TRUST」の歌詞における、生まれる前の子どもへ向けてのhyde的父性の表れ。そのイメージを頭の片隅に残したままなんとなくYUKI聴いてたら、「砂漠に咲いた花」にやられましたヨ…。

Commune

Commune

ソロ2ndなこのアルバムは、Wikipedia記事より引用すると

2枚目のアルバム『commune』のテーマは、"70年代"と"SLOW"。妊娠前から出産を控えた時期に作られたこのアルバムは、少女の歌声に女性、母性、人間性が宿っていく様をみずみずしさとともに感じさせることとなった。

だそうで、つまり歌い手&作詞家であるアーティスト(作曲家は別人)が、母親視点からおなかの中の子どもに対しているという、「TRUST」とは逆の状況が成立している訳です。そのアルバムの最後の曲である「砂漠に咲いた花」の歌詞はこちらなんですけど、いやいやもう、母は強い! の一言に尽きます。(笑)

《私の中の小さな太陽》とも形容している《まだ見ぬ君》に呼びかける言葉は、『さあ、でかけよう』。哀しい出来事に泣き、うれしい出来事をかみしめる《君》が、愛されるように、許されるように、願ってるよ。

主体であるところの《母親》は、《君》の経験するであろう未来の哀しみを認識しつつも、『私がここにいるから大丈夫』といった風に呼びかけるのではなく、《君》自身がこの世界で生きて、歩いて、《すべての日々に愛されるよう》願っている…「TRUST」の父親視点の《僕を信じて、出ておいで》とはまるきり違います。

もちろん違って当たり前なんですけれど、父親視点であれこれ物思った後に母親視点の歌を聞いて、なんだか感じ入ってしまいましたとさ。

ちなみに本人作詞じゃなかったけどYUKIの《I'm here》は、『I'm here for you baby(=darlin')』でしたよね。とっても《女》の歌な「the end of shite」、JUDY AND MARY解散後のソロデビュー作1曲目という宣言的な位置づけ*1でそれ。出産後の「Home Sweet Home」でも《ここにいるよ》と歌ってましたが、柔らかく優しく、あれはまさに母性だと思う。

*1:HYDEの「evergreen」がそうであるように