君がくれた声を抱いて

「ASIALIVE 2005」のDVDに収録されているインタビューで、hydeはこんな風に語っていた。

「去年アメリカに行った時も、MCは全部、英語でしたんで…ちょっとねぇ、韓国に来たらやっぱ、韓国語で喋ってあげたいなって」

そうして彼らは韓国、中国と、日本語ではない言葉でのMCを行い、ASIALIVEを見事成功させた。

それから三年の時が経ち、迎えたTOUR 2008 L'7。海外各公演の地において、現地の言葉でのMCを行うというのは、ラルクにとって必然的な選択であったのだろう。

バリエーションを含めた中国語や韓国語、フランス語に疎い私がそれらの映像を見ても、hydeが何を喋っているのかは判らないし、彼のMCが現地の(あるいはそれらの言語を解することの出来る)人々の耳に、どう届いているかの判別もつかない。けれどネット上での反応を見る限り、ラルクのこの挑戦は歓迎されているようであり、そして彼らの紡ぐ言葉はきちんと伝わっているようである。

また、来場した現地Fanに対してのみならず、各国でのニュース映像等に、日本から来たミュージシャンがその国の言葉を喋っている姿を映せるというのは偉大なことであると思う。たとえ日々消費されるニュースの中の、興味のない人間には瞬時に忘れ去られてしまうような情報であっても、それは日本人、あるいは日本に対する諸外国からの評価を、決してマイナスにはさせないものだ(そのようなものが、一体この世の中にはどれ程あるのだろうか)。

「その国の言葉で喋ってあげたい」、こういった海外Fanへのアプローチの源流は、ラルクが実践し続けてきたスタイルの中に見て取れると思う。過去の数々のツアーにおいて(私がはっきりと認識しているのは98年の「ハートに火をつけろ!」からであるが)、日本各地で披露していた《ご当地ネタ》《方言MC》、現地の観客(あえて《Fan》とは書かない)とのコミュニケーションにおいて有用となるそんな手段を海外向けに応用してみると、自ずとそれは《現地語MC》になるのではないだろうか。

現地の言葉を使うということ、それは即ち「LIVEをするこの土地のことを知っている」というアピールであり、客席を埋めた人々に、ステージの上に立つメンバーがこちらに歩み寄って来てくれているのだと、そう感じさせられるものだろう。

YouTubeの各MC映像に寄せられた海外Fanのコメントを眺めていても、

「それぞれの国の言葉で話していることを尊敬するね」
「韓国語を話している時のhydeの口調がとても好き」
hydeが(いや、全員!)ドイツ語で喋るのを聞いてみたいわ」
「いつかポーランド語でも話してほしい!」

などといったように、訪れた土地のFanからは感謝と敬愛の念を、未踏の土地のFanからは輝かしい期待を寄せられている。彼らがこれまでに培ってきた、彼らなりの方法論で世界に対し、それが受け容れられ高い評価を得ているという事実。そんな飽くなき挑戦と大いなる成功の軌跡に思いを馳せると、改めてL'Arc〜en〜Cielというバンドの持つ力に気付かされる。