2006/7/16 JaME米国レポを読みながら

JaME Worldの2006年のHYDEソロの訪米記事を読んで訳してみたついでに、この時のインタビューアさんの書かれたサンフランシスコ The Fillmore LIVE REPORT記事も読んでたら…あの、これ、ものすごく熱くて感動的なレポですね。泣かされましたよ私、酒飲みながら読んでたのもあるけど(…)

本題に入る前に、「HYDE TOUR 2006 FAITH」の米国公演周辺の状況を振り返ってみると、

6/27(火) 広島CLUB QUATTRO
7/2(日) ハウス・オブ・ブルース・アナハイム
7/3(月) ハウス・オブ・ブルース・ハリウッド
7/5(水) サンフランシスコ Slim's
7/6(木) サンフランシスコ The Fillmore
7/16(日) Zepp Fukuoka

とゆー日程だったらしいです。で、7/1(土)がAnime Expoのイベントだったんだな。HYDEご一行様のアメリカ滞在は約一週間?

今回は要約と感想の箇条書きと、翻訳引用部分を織り交ぜつつ書いてみたいと思います。なお、「FAITH」曲の歌詞の日本語表記はアルバムのブックレットより引用しました。

  • LIVEの告知があったのは3月末。HYDEの米国デビューとなるツアー4公演はSOLD OUT! …だったらしいよ(把握しておけ自分)
 日付が6日に変わったばかりの深夜、HYDEの3本目のLIVEである5日のSlim'sを後にしたばかりの筆者は友人達とタクシーに乗り込んでいた。この日、Slim'sには早くからは並べなかったので、あまり前の方には行けなかった。そして明日は、ついに最後のHYDEアメリカLIVEだ……。筆者達は決めた、「今から、The Fillmoreに行って並ぼう」と。
 明日の晩までの場所取りの順番などを決めて、最終公演会場のThe Fillmoreに辿り着いた。驚いたことに、そこには既に他のグループが待機していた。だが、どうやら最前列は確保できそうだった。
  • そんなこんなで徹夜っぽく並んだ後、20時開場、22時開演だったそうな…いやはや。22時って日本の感覚からすれば遅いけど、アチラはそんなものなのかな。
  • 努力の甲斐あって最前列、HYDEのマイクスタンドとベーシストの間の位置を確保することができたそうです。カズさんちょっと遠め? それは別にいいのか…。
 午後10時。スピーカーからベートーベンの《歓喜の歌》が鳴り渡り、HYDEがバンドメンバーを引き連れてステージ上に姿を現した。満場のオーディエンスが歓声をもって迎える。そう、まさにこれこそが、HYDEの最後のアメリカLIVEの始まりなのだ。そして筆者はそれを最前列で体感していた。目の前の柵にしがみついて後ろから押してくる人波に耐え、自分の立ち位置を死守する。
《君の血が欲しい、与えてくれ…理性を失くして俺のを飲み干せ》

 歌うHYDEの目に宿る欲望が語りかけてくる。オーディエンスは皆、忠実なる狂信者のように、崇拝を捧げる我々のカルト・リーダーと共に声を上げた。

「いい声してるな!」

 MCでHYDEはそう言った。米国でのLIVE中は、アメリカのファンは全ての曲で、声を上げてHYDEと共に歌っていた。HYDEのLIVEに参戦するため、地球を半周してカリフォルニアにやって来た日本のファンに聞いたところによると、日本のファンは曲の全部を歌おうとすることはないそうだ。また彼女は、アメリカではLIVE中に周りから押されることが多かったが、日本では押されると口論になる場合もあるとも語った。
  • 歌わないよ、うん…。もしもえばぐりで周りに絶唱されたら、どこまで正気でいられるのか私? ま、文化の違いってやつでしょう。なんにせよ、喧嘩沙汰にならないレベルで楽しむのが一番と思うハコLIVE。
  • 次の曲は愛を歌った曲です、というMCで「SEASON'S CALL」。押しも止んで、少しだけスローダウン。
《あの季節が僕を呼んでる どんな時も君を感じているから》

 歌詞に込められた、愛する人々へ向かうHYDEの心情が描き出される。それからHYDEはギターを爪弾き、自身の歌と演奏だけで、「EVERGREEN」を始めた。失われた友へ寄せる想いを歌う彼のソロデビュー作のロックアレンジ版は、悲しさと美しさを同時に味あわせてくれる。
 続けて、ハードロックチューンの「DOLLY」が来た。

「一緒に暴れてくれ!」
  • 「IT'S SAD」→HIROKIのベースソロ→「PERFECT MOMENT」→「FAITH」→HIROKIによるメンバー紹介
  • K.A.Zの腕の《俺の般若》に言及が!(笑) HIROKIは少し英語を間違えたらしいよ…。
「カモン、ルーシー!!」

 そのフレーズを耳にした筆者は、その場で激しくジャンプを繰り返した。The Beatlesの原曲を見事なまでのロック調でカバーした「Lucy in the Sky with Diamonds」は、これまでの3公演ではハイライト的な位置に来ており、それは今晩も例外ではなかった。
 The Fillmoreの照明は、ステージから届く温かでカラフルな音の饗宴を盛り上げてくれるかのようだった。若いオーディエンスの大部分は、おそらく原曲を耳にしたことさえないのだろう。けれど、そんなことは問題ではなかった。オーディエンスは激しく声を上げてリフレイン部分を歌い、一緒にジャンプをして、まるでフロア全体が揺れる人の波となって弾んでいるかのようだった。

 この勢いのまま、HYDEは次のヒットシングル「HELLO」を奏でる。HYDEは歌詞を半分ほどしか歌わず、オーディエンスに歌わせようとした。この曲の歌詞は日本語であるが、それでも我々は心の限りに歌った。この時、マイクスタンドから離れたHYDEは少しでもオーディエンスに近づこうとしていた。HYDEはきっと、声を上げてこの曲を歌うアメリカのファンの姿を誇りに思ったことだろう。
  • 「PRAYER」→「MIDNIGHT CELEBRATION」(これも歌わせるメイン)→メンバー下がる
  • 10分ほどで再登場。13からのカウントダウンをしてくれ、で「COUNTDOWN」→「HIDEAWAY」
 ラストの曲の前に、HYDEによる最後のMCがあった。HYDEはバンドメンバーへの感謝を述べ、彼らに投げキスを送った。またHYDEはツアーのスタッフにも謝意を送り、そして何よりも嬉しいことに、オーディエンス全てに感謝を表してくれたのである。
 アメリカでのツアーの間中、HYDEはオーディエンスに向けて、アメリカのファンの前で演奏できることをとても楽しんでいると、彼はとても幸せだと伝えてくれていた。HYDEは我々に、もしもアメリカに戻ってくる機会があったなら、またLIVEに来てくれるだろうかと尋ねかけた。そしてこの夜、HYDEアメリカのファンと約束を交わしたのである。

「俺は戻ってくるぜ!」

 割れんばかりの拍手と歓声が会場を包む。そしてまさにその言葉通りに、この夜の最後の曲「UNEXPECTED」が始まった。ここに至るまで、様々な感情と思考の波を乗り越えてきた筆者はこの時、どうすれば良いのかわからなかった。
 HYDEの米国ツアーが間もなく終わろうとしていることは悲しい、けれど同時に、今はHYDEの再訪を信じることができるのだ。結局、未来にまたHYDEに会えるという希望と興奮が悲しみに打ち克ち、この素晴らしいツアーの最後に流れるはずだった涙を押し留めてくれた。
 他のオーディエンスと共に、筆者も歌うことにした。《予期せぬ約束が紡がれた》というシンプルな歌詞を繰り返す我々の歌声は、特にステージ上のメンバーが演奏の手を止めた時には、ライヴハウスの空間いっぱいに響き渡り、まるで時が止まったかのようにも感じられた。曲のエンディングではHYDEはステージの床に身を投げ出して、激しくギターを弾いた。
  • 終演。投げキスをしてステージを去るHYDE。HIROKIのピックが近くに飛んできたけど取れなかった筆者さん(K.A.ZよりHIROKI率のが高いレポだった…立ち位置の問題?)
 後日、筆者が友人達に語ったことを、ここに今一度記しておきたい。HYDEの紡ぐ詞は筆者の心を動かし、HYDEの奏でる音楽はいつもこの胸のどこかに響いている。そして今、HYDEの米国ツアーが終わった現在であっても、筆者は一生あの日々のことを忘れはしないと言える。
 ただHYDEの笑顔に、眼差しに、言葉に、声に魅了され、彼の音楽に深く聴き入って過ごした日々。HYDEのもたらした、濃密で特別な一週間の一部となれたことをこの上なく光栄だと思う。そして筆者の中にあるあの日々の記憶は、永遠に、誰も奪うことなどできはしない。
  • いやもう、HYDEISTの心意気ここにありという感じで!! 良いレポ読ませて貰いましたー…(涙)
  • 2年前の《I'll be back.》の約束が果たされるのはいつ? 早くVAMPS、海外ツアー発表しちゃえばいいよ!!<気が早い。でも根拠ない妄想じゃないと思うこの期待。