like a flower

「日本の方ですか?」

そう声を掛けられたのは3月21日、男子シングル・ショートプログラムの日。後半グループ前の長めの休憩時間の後で、再入場のためスカンジナビウム・アリーナのゲートに並んでいた時のことだった。振り向くとそこには明るい笑みを浮かべた、同じ年頃と思しき日本人女性。嘘をつく理由もないので、はい、とうなずく。

「あー、良かった。すみません、いきなり話し掛けちゃって。でも、お花持ってらっしゃるみたいだから、ちょっと気になって。…誰に贈るんですか?」

私の手元のビニールバッグからは、売り場が混まないうちに買っておこうと、朝一番の休憩時間に場内で購入していた薔薇が三輪覗いていた。

「日本の3人にです。みんな、頑張ってくれたらいいな、と思って」

高橋大輔小塚崇彦南里康晴。女子シングルと同じく、日本からは3選手がここイエテボリでのフィギュアスケート世界選手権にエントリーしていた。日本選手の皆に頑張ってほしい、これはその時の私の、単純にして偽らざる気持ちだった。だが、そんな風な答えを聞いた彼女は少し意外そうな表情を浮かべた。

「そうですよね、頑張ってほしいですよね…」

半ば自分に言い聞かせるように、そう呟く。どこかボタンを掛け違えてしまったかのような空気を軽くいぶかしみながらも、彼女の手元にも花束を見つけたので、お返しにという訳でもないが、こちらも尋ねてみることにした。

「そちらは、どの選手に?」
「小塚くんです。彼のファンなので。応援しに、日本から来ちゃいました」

彼女ははにかむ。向かう対象は違えど、恋心にも似たファン心理は私にも大いに覚えがあるところで、知らず笑みがこぼれた。

「初出場ですもんね。小塚くんも、頑張ってほしいですよね」
「ええ、ぜひ!」

そんなたわいもない言葉を交わしたしたところで列は動き、チケットをかざしてバーコードをスキャンさせ、ゲートを通り抜けて場内へと入った。彼女も私も、人波に紛れてそれぞれの座席へと向かう。

――彼女がどの辺りの席で見ていたのかは判らないし、正直なところ、もう顔すら覚えてはいない。けれどこの時の会話は、不思議と私の中に消え去り難い印象を伴って今なお残っている。

それは翌日のフリーで好演を見せ、初出場の世界選手権の大舞台で8位入賞と健闘した小塚崇彦に拍手を送りながら、昨日の彼女はこの会場のどこかで大いに喜んでいるのだろうな、と思い返したことにも一因はある。だが、何よりも私が日本代表の3選手全員に花を贈ろうと思ったのは、簡単に言ってしまえば《愛国心》にあることに気付かされたのが大きな原因なのである。

愛国心》などという言葉を日本語の文章の中で使ってしまうと、どうも剣呑な響きを持つように感じられる。だがそもそも、字義的には《国を愛する心》なのであるから、生まれ育った国、自らのルーツを求める場所を愛し、それに関連するものにシンパシィを抱くという、ただそれだけの言葉として捉えても良いものの筈だ。

日本代表として、遠路はるばる北欧の街まで競技をしにやってきた選手達。無論それは、彼ら自身の競技への取り組みの結果として、彼ら自身が勝ち得た位置であるので、勝手に見ている側のこちらが礼を言うなど僭越なのかもしれない。

けれど遥か遠く隔たった地であるここに来てくれて、日本を代表して世界の舞台で演技を見せてくれるというただそれだけで、私は同郷の彼らを労わりたくなるし、感謝の念を抱いてしまう。そしてこれはフィギュアスケートなのであるから、せめて演技後にトスフラワーをと、そう思ってしまう。

もしも私が日本から遠征して観戦旅行に来ていたのであったなら、2008年3月当時は円安クローナ高もあったし、(良心的とは言えなさそうな価格設定の場内販売の)花を買うのに大いにためらったであろう。薔薇一輪で30スウェーデンクローナ(SEK)、500円強であり、もう少し豪勢な花束になるとひとつ75SEK、1300円弱であった。

その場合、買ったとしてもおそらくは一輪きり。ファン、という、理性では説明しきれない贔屓心理、ただもう、全てを肯定して応援したくなるようなそんな気持ちを向けていた日本男子選手、高橋大輔のみに投げていたのではないだろうか。それはあの時に言葉を交わした、小塚崇彦ファンの彼女と同様に。

(もう一輪買ったとして、それは当時の別の贔屓選手、スイスのステファン・ランビエールに投げていただろう。だが欧州開催ということもあり、スカンジナビウム・アリーナには、赤と白に包まれたランビエールの大応援団が地元から駆けつけていた。またその中には同様の応援グッズを持った日本人ファンも見受けられるという、観戦初心者が気圧されることこの上ない雰囲気もあったので、投げに行く勇気が持てたかどうかは疑問であるが…)

けれどこの時の私は、ファン心理だけではないものでトスフラワーの対象を選んでいた。それに気付かされたのは日本から来た彼女との会話中に生じた軽い齟齬であり、その理由を探してみたところ、どうやらそれは《愛国心》と答える他ないように思われたのである。海外で暮らすと愛国心が強まるようになるとは聞いていたが、成程こういうことなのかと、イエテボリでの経験からまさに実感してしまった。

異国で催される大規模な競技会に、自国の代表として参加している同国人の選手に、観客席から応援の気持ちを込めて花を投げたいと思うような気持ち。愛国心なんてきっと、そんなもので十分なのではないだろうか。