止まらずに踊れ

LIVEでのノリ方について、id:erieri56:20081006:1223301302さんの記事を読んであれこれ考えてしまったので、思うところを書いてみようかなーなんて。いえ結論としては私も、「自分が思ったように乗ればいい」っていうのに全面的に賛成なんですけど。

とりあえず私、ラルクのLIVEに同行する十年来の友とも、ノリ方違おうが全然気にしません。(笑) いや、全然ってことはないかな? 違う動きしてるーくらいはそりゃわかるよ、隣だもん。でも、だからどーしたみたいな。友は動きたい時に動きたいように動いてればいい、私は私で動きたい時に動くし、じっと浸って聴いてたい時には固まってるからな!! みたいな。

大体、ドームクラスであろうがちっさいライヴハウスであろうが、LIVE中なんていうのはつまり、同一空間におけるステージ対自分という一対一の構図を味わえる貴重な時間な訳で。そんな時に周りなんか気にしてるのってもったいなくない? って思うんですよね。てか周りの人々も他の客なんて見ないで、ステージを見つめてるんじゃないかと思うし。(笑) 周りのお客さん見てる暇があればステージ上の、生で動いてる大好きなあの方々を少しでも長く目に焼き付けておけ!! って。

まーでも、特に日本人としては《連帯感》に安堵を感じる気持ちもよーーーくわかってしまうので、その辺は何と言うべきか…。ドラハイの「Flash! Crash!」やらルーシーのジャンプやらは、周りの皆もやってるおかげで楽しさ増幅! って部分もあると思うんですよね。マイドリの「夢を描くよ」合唱とかさ。

そんな《連帯感》のV系ライクな世界での代表は《手扇子》と《ヘドバン》かと思うのですが、ラルク側は「V系のお約束」《手扇子》について、1999年の「GRAND CROSS TOUR」辺りからきっぱりと否定的な見解を示していたような記憶があります。さすがにヘドバンは全員がやれる訳じゃないしなーぁ(ちなみに私は三半規管が弱いのでヘドバン無理です。気持ち悪くなる…)

でもそれって、「手扇子でノリたい」と思う人々の意思を否定することなんじゃないの? なんて思ったりする私はひねくれ者なんでしょうか。自由に、というのならばそこには《手扇子をする自由》も含まれているべきだと思うのね…。

それにラルク側は、100%の振りの自由を求めてる訳ではないと思うんだなー。hydeが2005年の「AWAKE TOUR」で「twinkle, twinkle」の振りをコントロールしてたのは覚えてるっすよ。初日の名古屋では手を横に振る動きが多かったけど(だってそうしたくなる曲調だと思えたんだ…)、その後の大阪では手拍子してやみたいに言ってたもーん。いや、hydeがそう言うなら私は一も二もなく従いますけど、ええもう。(笑) そしてDVDで東京ファイナルを見ると手拍子ですよ。宣伝効果ばっちりー!

乗るべきか、乗らざるべきか、それが問題だ? L'7パリのスタンド席で友を挟んで隣だったフランス人と思しきお姉さんは、ほとんどじっとも動かずにステージを見つめていたようだったけれど、私は彼女がラルクを楽しんでいなかったとは思えない。アンコール待ち時間中に席を離れた時は「つまんなかったのかな? もう帰っちゃったのかな?」とか思ってしまったけど(こら)、戻ってきた彼女の手には、ポスターその他のグッズの袋があったもん…!!

――そんなこんなで何を書きたかったのかわからなくなってきましたが、とりあえずVAMPS東京では周りの皆様の迷惑にならないレベルで(この辺が日本人的)、精一杯自分なりに暴れてこようと思います、という決意表明までに。…まとまってませんが。(汗)