「GLAMOROUS SKY [ENGLISH VER.]」

向こう側を見ていることも出来た筈なのに
空へと昇る道の
ああ、いつだって僕は遅すぎる

同じ日々を繰り返せたはずだった
懐かしく眩しい情景に彩られた
僕はまた嘘をついているね
あの日々を忘れようとして
ロッキンシューズをもう一度履いて
涙で出来た水たまりを越え
不意に記憶が蘇る
君は賢かったね
僕は覚えているよ

僕らは虹を渡ることが出来たのに
もう一度共に太陽を目指すことが出来たならば
僕らは明日を夢見ることが出来たのに
ずっと諦めていた魅惑の日々を共に過ごすために

君のためにもっと沢山のことをしてあげられたよね
僕に出来ることはもう何もない
ああ、いつだって僕は遅すぎる
もう君を行かせてあげなきゃ

いつも君は言っていたね、ロックンロールなんだと
人生は戦いで、もがいて、そして強くなる
不意に記憶が蘇る
君の匂いが好きだった
僕は覚えている

僕らは星の光のように輝くことが出来たのに
もう一度共に空を目指すことが出来たならば
僕らは明日を夢見ることが出来たのに
ずっと諦めていた魅惑の日々を共に過ごすために

眠っていたくないんだ

日曜、月曜、
そしてまた火曜
水曜、木曜、ずっと君と離れたままで
金曜、土曜、いつだって僕はひとりだ
天の高くの月に向かって僕は泣く
君の泣く声が僕の耳に届きはしないだろうかと

僕は全ての困難と闘うことが出来たんだ
ただ君の側にいることさえ出来ていたなら
今はもう、僕だけで夢を見なくちゃ
ずっと諦めていた栄光の日々を追いかけるために

僕らは虹を渡ることが出来たのに
もう一度共に太陽を目指すことが出来たならば
僕らは明日を夢見ることが出来たのに
ずっと諦めていた魅惑の日々を共に過ごすために

魅惑の空へ…

英語歌詞をじっくり読んでみたら、原曲の日本語歌詞を踏まえつつも(おそらくは主に音数や韻の関係で)、結構違う表現になっているなぁと思ったので、HYDEカヴァーの「GLAMOROUS SKY [ENGLISH VER.]」、英語歌詞を訳してみました。

実は未だ「NANA」の原作や映画を見たことがない人間なので(汗)、「NANA」や原曲の日本語歌詞のお好きな方にはもしかしたらイメージが違うと思われるかもしれませんが、いちHYDEファンの試みとして、流して頂ければ幸いです。

純粋にこの英語歌詞だけを解釈しようとしてみると、HYDEお得意の《失われた輝かしい日々への哀惜》だなぁと。でも《今はもう、僕だけで夢を見なくちゃ》、大好きだった人、追憶の過去から離れて独自の未来を目指すよという決意もにじみ出ている辺りが、《今》の歌だなと思う。

遠くの人を眺めるばかりの「失われた眺め」、このまま眠っていたほうがいいんだ「眠りに寄せて」、目を閉じていたいだけ「Vivid Colors」、もう行かなくちゃ「夏の憂鬱」、愛するほど心は壊れてゆく「Dearest Love」。初期ラルクでは良くも悪くもずっとこんなでした。「True」期からすこーしばかり前向きにもなった気がして、「HEART」期からはゆるやかな変化が見られるような。

山積みの問題を抱えて駆け回っているよな「Singin' in the rain」、絵空事だと知っても「Sell my soul」、ささやかな未来を辿ろう「TIME SLIP」を通り過ぎ、長い空白を経て復活した「SMILE」では、無駄な抵抗はやめて明日へと向かおう「Feeling Fine」。個人的にラルクのスケールアップ、グレードアップをしみじみと感じた「AWAKE」以降はもう、視線の先が蜃気楼でも楽園にきっぱりと別れを告げた「LOST HEAVEN」、この命はまだ旅の途中「ALONE EN LA VIDA」、そんな先にある、2009年の現在。

…この辺はじっくり読み比べてみたら、hyde的意識の変化が面白いだろうなーとは思うんですけど、ざくっと思いついたものを並べているだけですので悪しからず。ああ、ていうかソロHYDEの歌詞については引用してませんごめんなさい。

ちなみに私はラルクhydeと(VAMPS含めた)ソロHYDEでは作詞については基本的に変化がないと思っています。ラルクとソロでの歌詞を比べてみると、かるーく傾向の違いのようなものを感じることがあるけれど、それはきっと単にアウトプットの過程の違いで…作曲者もアレンジャーも違ったら、そりゃ傾向も違うものになるでしょうって。

あんまりグラスカ話じゃなく終わってしまった。よくあることです(…)